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シュリーマン旅行記 清国・日本

シュリーマン旅行記 清国・日本   
H.シュリーマン 著  石井和子 訳  講談社学術文庫  1998/4/10

 シュリーマンって、トロイア遺跡のシュリーマン? そのシュリーマンが日本に来たの?
 ・・・と、本を開いてみたら、その通りでした。

 本に書かれた著者の紹介文を抜粋すると、
ハインリッヒ・シュリーマン
1822年ドイツ生まれ。若い頃移り住んだロシアで藍の商売を手がけ巨万の富を得る。1864年世界漫遊に旅立ち、翌65年日本に立寄る。

 トロイア遺跡を発掘したのは、これよりあと1871年です。1865年といえば慶応元年、幕末の世の中が騒がしいときです。

“これまで方々の国でいろいろな旅行者に出会ったが、彼らはみな感激しきった面持ちで日本について語ってくれた。私はかねてから、この国を訪れたいという思いに身を焦がしていたのである。”

 と、いうことで、一か月の滞在中に、

“世界の他の地域と好対照をなしていることは何一つ書きもらすまいと”

 見聞きしたことを事細かく書き記しています。
 西洋文明とかけ離れた、風俗、衣食住について、歴史的資料になるのではないかと思えるぐらい、その描写力はすごいです。(訳者石井氏の訳文もとても読みやすかったです)

 当時の上海や北京、サンフランシスコへの船旅の様子と合わせて、約150年前の日本を旅することができます。巻末に訳者がアテネのシュリーマンの館を訪ねたときの文章もあります。

(リンクしたHPには、「3カ月の滞在」と紹介されています。中国かサンフランシスコへの船旅を含めて3カ月と記載したのではないかと思います。) 



 こんなんだったんだ~と感じる彼方の日本の姿や、現代に続く事柄がたくさん書かれてました。
 例えば、
・全身に見事(芸術的)な刺青を入れた船頭や馬丁、担ぎ人夫たち。 (←現代の刺青の負のイメージは絶対に払しょくできないでしょうか。)
・1か月の間に地震が6回も起こった。
・洟(はな)をかむための和紙[懐紙]を袖に入れ、汚れた和紙は捨てている。それに対し、西洋人が同じハンカチーフを何日も持ち歩いていることについて、日本人はぞっとしている。
・公衆浴場の浴場は道路に面した側が完全に開放されているため、混浴の男女の姿が見える。(←外から浴場が見えることについては信じ難いです/訳注によると、「1791年に江戸の銭湯の混浴が禁止されたが、禁止といっても、実際は湯桶を中心に板などで仕切りをつけたぐらいのものだったらしい」)
・女の子の結婚適齢期は12才。(←数え年か?)
・将軍家茂の上洛の行列があり、街道に面した店は戸口を占めて行列が過ぎるまで外に出られない。外国人は混乱を避けるため立ち会わないように要請があったが、英国領事が幕府に掛け合って、外国人用の見学場所を確保し、そこから大勢の外国人が見物した。
・八王子は絹の生産地で大きな手工芸の町として知られていた。
・江戸の外国公使館はお寺が借り受けられていた。しかし、外国人襲撃を恐れてアメリカ領事館以外は横浜に移動していた。
・江戸は外国に開港してなかったので、外国列強の公使や随行員以外は江戸に入ることはできない。シュリーマンのような一介の外国人が江戸に入るにはアメリカ領事館の招待状が必要だった。
シュリーマンは横浜のグラヴァー商会ほかの友人たちのとりなしで紹介状を取り付けることができた。
・馬は藁のサンダル(わらじ)を履いている。役人が乗る馬のみ蹄鉄をつけている。蹄鉄を付けるようになったのは2年前から。
・独楽(こま)回しは素晴らしい芸術であり、ヨーロッパやアメリカで興行したら大成功間違いなし。
・江戸で外国人を目にすることは一大事件であり、シュリーマンが通ると人々は好奇心をあらわに、「唐人(とうじん)、唐人」と叫んだ。外出時には警護の役人が何人か(5人ぐらい?)付いた。
・葬儀には白装束で参列する。
 “白は日本では喪の色であり、日本人に対する最大の侮辱は、白装束で訪ねることである。”

 清国・北京では、
・ぞっとするくらい不潔な旅籠ぐらいしかなく、仏教寺院に部屋を求めることにした。値切りに値切って半額にしてもらった。
・京劇を見に行ったが、中国楽器は、“猫の大騒ぎのような音を出していた。”
“歌も、ヨーロッパ人からすれば、耳を引っ掻くような叫び声にしか聞こえなかった。” (←わかる気がします)
 
 巻末の年表で、‘1866年4月に、留学・商用者の海外渡航が公認’されたことを知り、それで、長州藩の伊藤博文他が明治維新前にヨーロッパに行けた疑問が解けました。グラヴァー商会のトーマス・グラヴァーが彼らのイギリス留学の手助けをしたそうです。


 中国、日本とも外国貨幣での支払いにメキシコ・ピアストルという通貨が利用されます。
 私には初めて聞く名前でしたが、注釈に説明がありました。
メキシコドル。スペインの属国時代の1535年から、1821年の独立後もメキシコ造幣局で鋳造されつづけた銀貨である。当時メキシコの産銀量が非常に多かったこともあって、メキシコ銀貨は銀の含有慮が変わらず、四百年後も一定の品質を維持していたことで貿易用国際通貨として世界各国の信用を博していた。(p175より)

by ruksak | 2016-09-01 00:01 | 旅の本 | Trackback | Comments(0)


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